場所について、あるいは"Okazaki Channel"

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そもそも『Trouble in Paradise / 生存のエシックス』展は、美術館の内側に限定された従来型の「展覧会」ではなく、美術館の立地する岡崎というサイトへも射程を広げるものだった。
2008年、この展覧会を企画した高橋悟さん(京都芸大構想設計准教授)は、後者を「岡崎Channel」と名付けた。
岡崎という土地の歴史性や地理的・生態学的特性を、作品やプロジェクトのなかに取り込むこと。
これは、この展覧会が、「京都芸大創立130年記念事業協賛」であり、この130年という歴史的時間を考慮に入れることと関連していた。当然、そこには、京都という都市の近代化への問いかけがあり、その起動力となった琵琶湖疏水が、この岡崎の地を根底的に変えたことへの配慮が必要になる。
「岡崎Channel」は、井上明彦の担当ということになり、当初は独自の「歩行ガイド」の作成が求められた。しかし、紆余曲折あって、結果的には、疏水フィールドワークとアクアカフェの実現というかたちに変化した。

とはいえ、アクアカフェは、恣意的に「カフェ」になったのではなく、岡崎という土地のリサーチをふまえたものである。
この地は「岡崎円勝寺町」というが、平安時代に六勝寺と総称される六つの寺があったとはいえ、応仁の乱以後は衰退いちじるしく、明治のころは人家も疎らで、空き地の広がる僻地だった。
それが、ちょうど120年前の琵琶湖疏水の開削により、内国勧業博覧会の誘致とそれに続く平安神宮の造営を機に、この地は京都近代化のシンボリック・ゾーンになっていった。南禅寺近辺には、庭師・植治によって疏水の水を引き込んだ壮麗な別荘庭園群が次々とつくられた。神宮道の両側は、美術館や文化会館、動物園が集まる観光風致地区となった。

プロジェクトを進める過程で、平安神宮宮司の本多和夫さんと交流が生まれ、造営当時の貴重な画像を提供いただいた。
それらは、岡崎という土地もまた、大地のうえに歴史や文化が折り重なった重層的な場所であることをよく示すものだった。
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明治25(1892)年ごろの岡崎の地。北から南を見る。人がいるのが今の平安神宮大鳥居あたりか。
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同じ明治25年頃、疏水の南側から北を望む。今の近代美術館がある場所の以前の状況。
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明治26(1893)年9月3日、内国勧業博覧会のための紀念殿(パヴィリオン)建設の地鎮祭の情景。ものすごい人出で、人々は三日三晩踊り明かしたという。

疏水の南側から北向きに撮影され、今の鳥居の位置に、張りぼての鳥居が見える。
手前に疏水と、その水辺で憩う人々。疏水の向こう岸に茶店が建っている。
アクアカフェ予定地とほぼ同じ場所。しかも同じ仮設建築物。
この発見は、制作の根拠を固めてくれた。

写真に写っているのと同じ場所に建っている美術館の1階ギャラリーの窓に、この写真を裏返しにして拡大展示した。タイトルはしゃれをこめて、"W-here"。
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美術館という場所も、今ある風景も、絶対的に定まったものではない。
いわゆる「土地の特性 site specificity」とは、固定的なものではない。
数百年、あるいは数千年以上の時間軸で見れば、土地はアイデンティティなど持たないのだ。
想像力によって、今ある土地の風景から、歴史や文化の地層をベリッとはがして、「原野」の状態をむき出しにすること。
アクアカフェが建てられるべきなのは、その原野、名もない地面のうえ、なのだ。
このことが、岡崎のリサーチを通して確信された。




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by aKCUA-Cafe | 2010-11-01 01:00 | 場所 site


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